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三宅 丈雄 准教授

バイオとエレクトロニクスの親和でスマートな製品開発を目指す

早稲田大学大学院情報生産システム研究科
三宅 丈雄 准教授

生体(バイオ素材)とデバイス(エレクトロニクス素子)を円滑になじませる技術は、iPS細胞(人工多能性幹細胞)を始めとする未来の医療・美容・健康ビジネスへ多大な影響を与える。また、身近な製品のスマート化はデバイスの役割や人との関わりを大きく変化させた。これらスマート化の潮流は、今後10年でより幅広い分野に波及することが予想される。
早稲田大学大学院情報生産システム研究科の三宅丈雄准教授は、期待されるバイオとエレクトロニクスを融合させる新たな研究を北九州学術研究都市で行っている。

生体に優しいデバイスを

―バイオとエレクトロニクスは一見すると相反しているように思えます。研究の内容を教えて下さい。
三宅 バイオという柔軟でウェットな素材に対して、硬く・ドライなエレクトロニクスというミスマッチをどう解決するのかが課題です。私は造語として「バイオイオントロニクス」という新しい学問分野を提唱している最中です。分かりやすく言うと、これまでのエレクトロニクスが電子の振る舞い、イオニクスがイオンの振る舞いを独立に扱っていたのに対し、イオントロニクスの主役は、電子とイオンの両方です。この時、デバイスは生体と触れる環境で利用させるため生体親和性が必要となり、バイオイオントロニクスとなります。難しいように思えますが、我々の体の中では酵素群による電子伝達と膜内外でのイオン輸送というように電子とイオン制御が日常的に行われています。我々は、それら機構をデバイスに持たせることで、最終的には、デバイスとヒトなどがイオンを介して通信する未来を目指して研究に取り組んでいます。

―どのような製品開発が可能なのでしょうか。
三宅 まだ黎明期であるため、これですと胸を張れるものはありませんが、研究室ではバイオイオントロニクスをソフト界面、イオン制御界面、ウェット界面に分けてそれぞれ各要素技術として研究を行っています。人に触れる製品である以上硬いモノは使えないので、どれだけ柔らかくするかが大事になります。以前勤めていた東北大学やワシントン大学にて、プロトン制御、酵素を使ったバイオ発電・計測、導電性高分子のゲル上印刷技術を開発してました。これら要素技術を用いることでいろいろな可能性があるのですが、例えば、現在開発しているモノとしては、コンタクトレンズに無線やセンシング機能を付加することで、涙量の変化によりドライアイの状況を利用者に知らせる、あるいは電気化学的な色の変化によってカラーコンタクトレンズのようなファッションにも応用することができます。細胞レベルのミクロな生体素材から皮膚などのマクロ組織へ物質の導入や抽出を実現する特殊なメンブレンも開発しています。

地域の課題解決に役立ちたい

―医工連携が重要な鍵になりそうですね。
三宅 まずは、どの医学分野と連携するかが重要です。本学は医学部がありませんので、それを逆に強みにしたいと考えています。もちろん、実際にモノをつくることが重要ですので、産業界とアカデミック(学術)との関りも大事だと考えています。是非、地元の企業(ベンチャーも含む)と連携しつつ早期の事業化を実現したいです。

―ワシントン大学など海外経験も豊富です。ベンチャーとの連携などは海外での経験が役立っているのでしょうか。
三宅 米国の教員は、みなベンチャーを立ち上げます。これは、いろんな意味で必要なことですが、日本で同様のことを実現しようとすると簡単ではないと実感しています。ただ、日本に戻ってきて研究のゆとりを得ましたので、自分が開発した製品を世の中に出す試みを抱いています。

―北九州市は一大産業都市でもあります。地域に求めるものはなんでしょうか。
三宅 北九州に赴任してまだ日が浅いのですが、地域に根付く挑戦をしてみたいと考えています。北九州市はモノづくりの街であると同時に、環境や医療などのニーズやシーズが多くあります。地域の問題を自らが見つけるのか、あるいは企業の課題解決の相談に乗るのか、これから考えていきたいと思います。微力ながら地域に貢献できると、うれしいですね。

 

ソフト界面、イオン制御界面、ウェット界面の各要素技術と想定されるデバイス。研究室では、それぞれの要素技術をチームに分け、研究を進めている。▲ソフト界面、イオン制御界面、ウェット界面の各要素技術と想定されるデバイス。研究室では、それぞれの要素技術をチームに分け、研究を進めている。(クリックで図を拡大)
【プロフィール】東北大学助教時代の2011年3月、東日本大震災で被災した。幸い大事にはいたらなかったが、当時東京在住だった婚約者(現夫人)とは一昼夜連絡が取れず覚悟されたとか。米国を経て北九州に移り住み、趣味のスノーボードが気軽に楽しめなくなったのが不満だが、米国で生まれた2歳の長男を育てる楽しくも慌ただしい日々。1981年生まれ、大阪市出身。

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